今回は、私が親に女性のことが好きであることをカミングアウトした時のお話、そこに至るまでの経緯についてお話をしたいと思います。まずは、生い立ちから!私は、1992年に長女としてこの世に生を授かりました。未婚で生まれましたが、母が愛情たっぷり育ててくれました。そして私が小2の時に結婚。小6で妹が生まれましたが、高校生の時に離婚。そこからは、母と妹と3人で生活してきました。
【幼少期~小学生】
幼い頃から活発で男勝りで、男の子とサッカーや野球をして遊ぶような子どもでした。中でも印象に残っているのは、落書き帳ってあるじゃないですか、あれに周りの女の子たちは、自分で漫画とか描いてたんですよ。可愛い絵。目の描き方の研究的なのとかしてましたね。すごいなぁ~って思ってました。けど、一ミリも興味がわかなかったんですよね。自分は男の子に混じって、ペンで定規をはじいて相手の定規を机から落とすゲームとか、手作りカードゲームとかしてましたねぇ~いや、思い出しただけでも懐かしい。
放課後は、サッカーか野球、あとは遊戯王カードゲーム、プロ野球チップスについてる野球カード集めたりしてましたね。小学生の時は男女関係なく、鬼ごっこしたりドッチボールしたりしますよね。その中に女の子の友だちももちろんいたので、当時はなんとも思ってなかったです。ただ、男の子と遊んでる方が楽しかった。確かに、振り返ってみればサッカーとか野球を一緒にしてた女の子はいなかったかも(笑)って感じですね。小学生時代は、運動音痴な男の子よりは、サッカーうまい自信ありました。
服装に関しては、物心ついた時からスカートとか女の子らしい服を着ることが嫌でした。服装や言葉遣い、態度など日常生活の中で、親や先生・周りの大人から、女の子らしさを求められることが苦痛でしたね。座っているとき、なんで男の子は足を広げてもいいのに、女の子はダメなんだろうとか思ってました。(笑) 男勝りな小学生時代でしたが、髪の毛はずっと長かったんです。特に伸ばしなさいとか言われた記憶はなかったんですけど、長いことが女の子らしさだと、自分の中で思っていたのかもしれません。
性自認としては、あくまで女の子だったんですよね。なんで、自分には付いてないんだろうとかは、思ったことなかったです。ただずっと、男として生まれたかったなとは思っていました。生まれ変わったら、男の子になりたいなって。でも、そんなの無理だから、女として生まれたのだから、それを全うしなければならないってそう思ってました。
小学5年生の時だったと思います。バレーボールのクラブチームに入ったんです。そこがまぁ、今だったらもう虐待でアウトな厳しいクラブチームでした。気持ちを見せろ!的なのでね、スポーツ刈りにしたんですよ。水泳帽かぶったら、ちくちくが出るくらいの短さに。そしたら、男の子に間違われるんですよね。公共施設のトイレに行けば、おばさんに後ろから止められたり、トイレから出るときにUターンされたりね。日常茶飯事でした。最初はそれが嫌だったんです。恥ずかしかった。赤いランドセルを背負ってたら、一ミリも悪気の無い低学年の子供に、「なんでお兄ちゃんは男の子なのに赤いランドセル背負ってるの?」って聞かれたりね(笑) そんな風に過ごしてたんですけど、当時のあだ名が苗字を文字って「ますお」になったんです。親が聞いた時は嫌な気持ちになったでしょうねぇ。でも、自分は何とも思ってませんでした。その時くらいからでしょうか、少しずつ男の子に間違われることが、嫌じゃなくなってきて、なんなら少し嬉しかったんです。
この時の恋愛対象は、男の子でしたね~!足が速くて、野球が上手な男の子が好きでした(笑) なので、FTMといっても、生まれた時から性自認が男だ!ってタイプの人もいれば、私みたいに成長していく中で、途中で違和感を感じる人もいるんですよね。ひとくくりに出来ないって話です。
【中学生】
中学生になったんですけど、制服ね。セーラー服でした。昔からスカートなんかほとんど履いてこなかったものですから、最初はやっぱり抵抗があったんですけど、皆おんなじ服着てるんでね。なんてことなかったです。後から母に聞いた話なんですけど、同級生の親から「ますお中学生になったら制服スカート履くの?」って言われたことがあったみたいです。他人の親からそんなことを言われる母の身になると、申し訳なかったなぁと思いますね。
部活はバレー部に入りました。ここで、第一モテ期が到来するんですよ。スポーツ刈りとまではいかないですけど、それなりに髪の毛は短くてイケメン風だったんでしょう。それから小学生のときにバレーかじってたんで、ちょっと目立ったんでしょうね。練習試合とか公式戦とかで、他中の人からラブレターとかもらうようになって(笑)「ずっと格好いいなって思ってました!よかったらメールください。」なーんて言われたりしてね。嬉しかったです。
同じ中学の女友達からは、「ますおがほんまに男やったらよかったのに!」とか「その辺の男よりイケメン!」「男やったら付き合ってる!」とか言ってくれる子もいて、正直嬉しかったんですよ。でも、この時は恋愛対象はまだ男の子だったんですよね~おもしろい。まぁ、それも今振り返ってみると、自分の気持ちに蓋をしていただけなのかもしれませんが。中3で1人お付き合いした人がいたんです。野球少年でしたね~ますおって言われるような、男勝りな私なんかと付き合ってくれて感謝しかないですほんと。いい思い出ですね。
【高校生~専門学生】
さて、高校生になりました。私が通っていた高校は、制服はあるんですけど、入学式とか始業式みたいなちゃんとした時以外は、私服OKの学校だったんです。バレー部で、朝練とかもあったので、高校時代はほとんどジャージで過ごしてましたね~楽ちんでした。でも、部活を引退してからは、中学の時のスカートに上は適当なシャツ着て、なんちゃって制服で通ってました。ここでも、あくまでも性自認は女の子なんですよね。ただ、今までと違って女の子のことが好きだと自覚したのは、この時でした。
高校時代も、専門学生時代にも好きになった女の子がいました。自分が好きになった女の子たちからしたら、迷惑だったかもしれませんが(笑)、告白もしてきました!けど全敗!(笑) やんわりまとめると、「男だったら付き合ってたのにな~」っていうのが、彼女たちの答えでした。でも、それを責めるつもりは一ミリもなくて、恋愛の対象は人それぞれで、私とは合わなかっただけなんですよね。仕方ないです!ただ自分の恋はかなわないんだなぁ~って。自分が男だったら良かったのに。そう、何度も何度も思いました。叶わない恋ってこーんなに辛いんだなぁって。あぁ、そうか。女として生まれたんだもんな。仕方ない。普通、女の人は男の人と付き合うもんね。だから、自分のこの気持ちはいけない気持ちなんだと思ってきたんです。一時の気の迷いだって。
親からの期待や、世間体。そんなのを気にして、専門学生時代は、頑張って彼氏も作りました。この時は、自分のことバイセクシャルなのかなぁって思ってたんですけど、男の人といてもドキドキしないんですよ。困ったもんですよ。それから、彼氏に求めるハードルが高すぎることにも気付いたんですよね。なぜなら、自分が彼氏だったらこうするって全部に思ってしまうから。道路歩くときは車道側歩くとか、エスカレーター上るときは後ろにいるとか、重たい荷物は持つよとかね!とか。なので、私の理想を叶えてくれる男なんてこの世にいない!と思いましたね(笑)
【社会人3年目】
まぁ、そんなこんなで気付いたんです!23歳のときでしたかね。男の人は好きじゃない!って。でも!普通に生きてて出会う女の子たちは、大体男の人が好き!ってことは、好きになっても叶わなすぎる!そんなのつらい。ってことで、それなら最初から女性のことが恋愛対象である人と出会えるところで、出会いを探せばいいじゃないか!と思ったんです。掲示板というものがあるんですよ。私はこんな人です。良かったら連絡くださいみたいなのを書いてる人がたくさんいるんですけど、そこで初めての彼女になる人と出会います。
その人とは4年付き合いました。正直、顔はタイプじゃなかったし自分より背は高いし、大きくて、一般的な可愛い人ではなかったんですけど(笑)、その人と出会って、自分の価値観が大きく変わりました。その人はレズビアンで、女の人が好きな女の子でした。私より年下だったんですけど、女性との恋愛経験は私よりはるかにあって、その界隈のことをなーんにも知らなかった私にとっては、全てが初めての感覚で、驚きと発見の連続でした。初め、彼女から告白をしてくれたんですけど、女性と付き合うって良く分からなくてお断りしたんです。自分は男性じゃないのに、女性と付き合ってもいいんだろうかって、どの時代に生きてるんだって思うような考え方なんですけど(笑)、その壁が結構高くて。その人のことを気にはなってるけど、なかなか一歩踏み出せなかったんです。でも、ちんたらしてたら他の人のところいくぜ的なこと言われて、その時に、嫌だなって思ったんです。この人と一緒にいるのは自分がいいって直感的に思って、悩んだ結果お付き合いをすることに決めました。
初めてだったんです。あなたはあなたのままでいい、そのままのあなたが好きだって言われたことが。この時初めて、自分は女性だけど女性のことを好きでいてもいいんだって自分を許せたような、認めてあげられたような、そんな気持ちになりました。きっと、そんな風に自分を受け止めてくれる人が初めてだったから、価値観の違いや相手に対する違和感にも目をつぶって長い時間をともに出来たんだと思います(笑) 恋は盲目って本当なんだなって振り返ると思うくらいに、沼ってました。共依存って感じだったのかな。この人を離してしまったら、もうこんな人とは出会えないって本気で思ってました。でも、最初に感じた違和感ってやっぱり目をつぶっちゃいけないんですよね。最後は情で付き合ってたんだと思います。この人を見捨ててはいけないとか、ずっと一緒にいるって約束したからとか、そんな気持ちになってしまったらもうおしまいなんですよ。
婚約指輪を買ってプロポーズして、結婚指輪も買って、パートナーシップも組んで、男女でいうところの結婚をしたのに、同棲半年でお別れすることになったんですよね。相手の方には本当に申し訳ないなって思うんですけど、後悔はしてないです。お互いあのまま一緒にいても幸せになれなかった。その時は、思い出もたくさんあるし、長年の情もあるし、離れるのがつらかったですけど、これで良かったんだと今は思います。私と出会ってくれたこと、好きになってくれたたこと、そのどれもが本当にいい経験だったし、彼女に出会っていなかったら今の私はいないので、出会ってくれてありがとうって気持ちでいっぱいです。
【第一のカミングアウト】
話がとっても脱線してしまいました。そう、カミングアウトがどうだったかって話を書きったんですよ。いつになったらその話が出てくるんだろうって話です。前置きが長くなりましたが、第一のカミングアウトをしたのは、2017年5月頃、24歳の時。当時の彼女とお付き合いを始めて、半年くらい経った時でした。やっと少しずつ自分はこれでいいんだと、自分を認めてあげることが出来たので、親に今の自分の気持ちを伝えることにしました。大事な話を直接、自分の口から話をするのが昔からとっても苦手で、うまく伝えられる自信がなかったので、母に手紙を書きました。
内容としては、今お付き合いしている人がいて、その人は女性であること。今まで男性と付き合ったこともあるけど、自分の恋愛対象は女性であること。だけど、あくまで性自認は女性であること。(この時は驚くことに、男性として生きていく選択肢はまだなかったんです。)これから、男性と結婚して子供を産んで…という普通の未来を、見せてあげることはできないこと。孫の顔も見せてあげれなくて、親不孝者でごめんなさい。そんな内容だったと思います。
私のカミングアウトを聞いた母の反応は、あなたのことを心から応援することは出来ないけど、理解しようと思う。そんな感じの反応でした。親の気持ちとしては、喜ばしい内容ではないでしょうから、否定されなかった。それだけで私は嬉しかったです。ずっと言えなかった気持ちを伝えられたこと、母が否定せず受け止めてくれたこと、安堵の気持ちからめちゃくちゃ泣いたのを覚えています。
最後に
そして女性が好きだと親に伝えてから6年たった現在ですが、親にカミングアウトした当初は女性として女性が好きだ、自分はレズビアンだと思っていましたが、女性とお付き合いをしていく中で、やっぱり男性として生きていきたいという気持ちが強くなっていきました。その時のカミングアウトについては、第2のカミングアウトで書きたいと思います。長文駄文でしたが、読んで下さりありがとうございました。手術に至るまでの経緯についてはこちらから読んでいただけます。また手術についてのお話はこちらから、興味のある方はご覧ください!